世界遺産の古都トレドの観光と歴史 スペイン Toledo
世界遺産の古都トレドは三方をタホ川に囲まれ、ギリシャ生まれの画家エル・グレコが創作活動にいそしみ、その半生を送った町です。スペイン 世界遺産の古都トレドの歴史・観光名所を案内します。
トレドは、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都で、マドリードから南に71kmの距離で、1時間弱で来ることができます。1561年に首都がマドリッドに移るまで、政治・経済の重要な拠点として繁栄し、「16世紀で歩みを止めた町」「町全体が博物館」と言われています。560年に西ゴート王国の首都となったトレドは、711年から約400年に渡ってイスラム教徒の支配下に置かれました。1085年のアルフォンソ6世の再征服後も、1492年にカトリック両王によって追放されるまで、この地の経済を握っていたユダヤ人と共に多くのイスラム教徒が残っていました。その為、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の3つの宗教が混ざり合いそれぞれの文化が融合したトレドの歴史を垣間見ることができます。
古都トレドは、旧市街全体が1986年に世界遺産として登録されています。
トレドの人口83,334人 (2014年) 東京13,857,664(2018)標高529M
トレドの歴史
遠い昔からトレドには、ケルト・イベリア人が住んでいたと言われていますが、前190年にローマの領地となったのが、記録にでてくるトレドの始まりです。そのローマ人が「トレトゥム」と呼んでいたのが、「トレド」の名前の由来です。
西ゴート王国がイベリア半島を支配したのち、560年にアタナヒルド王がトレドを首都に定め、トレドは発展して行きました。621年にスインティラ王(在位621-631年)の時にはイベリア半島を統一するほどにまでになりました。
その後、711年、ウマイヤ朝の指揮官ターリク・ブン・ジヤードによってトレドは征服されイスラム支配下に入りました。718年に北部からキリスト教徒によるレコンキスタが始まり、1031年に、ウマイヤ朝が崩壊し、トレドは、その後に誕生したタイファ諸国の一つの「トレド王国」となりました。1085年、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世による長期の包囲戦の後、トレドは降伏し、再びキリスト教に支配されるようになりました。
12世紀から13世紀には、トレド翻訳学派と呼ばれる学者集団が活躍しました。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳されました。この成果が中世西ヨーロッパの12世紀ルネサンスに大きな影響を与えました。
トレドは鉄製品、特に剣の生産で有名となり、現在でもナイフなど鉄器具の製造の中心地となっています。
1226年には、トレド大聖堂の建設がフェルナンド3世(在位1217-1252年)の命によってはじめられ1493年に完成しました。
1561年、フェリペ2世がトレドからマドリードに首都を移すまでは、トレドは文化・経済の中心だったのです。
トレドの観光名所
トレドの旧市街の観光は徒歩での観光になります。ツアーでは、トレドの町が一望できる展望台で写真ストップをしてから町に入ります。町に入って旧市街までは、階段を上るか、エスカレーターを利用します。
トレド大聖堂(カテドラル)Catedral
高さ90mの鐘楼を持つ、スペインゴシックの最高傑作と言われるトレドの大聖堂は、イスラム支配時代のモスク跡にフェルナンド3世の命で1227年に着工し、1493年に完成しました。大司教座があるスペインカトリックの総本山となっています。
本堂に入って左奥に宝物室があります。16世紀に作られた聖体顕示台は、高さは3m総重量は200kgもあり、金・銀・宝石が散りばめられていて豪華絢爛です。その金の一部はコロンブスがアメリカから持ち帰ってきたものだそうです。この聖体顕示台は、年に一度だけお神輿のように担がれてトレドの街を練り歩きます。
内陣の祭壇裏にはナルシソ・トメ作のトランスパレンテがあり、後方から差し込む光で天使や聖母像が美しく照らし出されます。聖具室には、「キリストの聖衣剥奪 El Expolio」等エル・グレコの宗教画やゴヤ、ティッツアーノの作品が飾られています。
「キリストの聖衣剥奪 El Expolio」
キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう前に、ローマの兵士に着衣を剥ぎ取られようとする緊迫した情景を描いた作品。
余談ですが、トレド大聖堂の鐘楼を鳴らしたら、近所の家のガラスがだいぶ壊れたそうで、現在は鐘は鳴らさないそうです。
トレド大聖堂(カテドラル)
【住所】 Cardenal Cisneros 1
【営業時間】月曜日~土曜日10:00~18:30 日曜日・祝日14:00~18:30
【定休日】無休
【料金】11ユーロ
サント・トメ教会 (Iglesia de Santo Tome)
14世紀にオルガス伯爵が私財を投じて再建したメデハル様式の塔を持つこの教会は、エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」(Entierro del Conde de Orgaz) を所蔵していることで有名です。
オルガス伯爵の埋葬
この地方の領主だったオルガス伯爵は、凶作の時は農民に自分の食物を与えたりするような誉れ高い伯爵でした。
絵は画法が下と上に区分けされます。上はイタリアンスタイル、下はスペインスタイルです。
上は天界で、中央にキリスト、左にマリアとペテロ、右に洗礼者ヨハネ、その右に天国に上っている人々、上部の一番下には天使によって昇天させられている、オルガス伯爵の魂が赤子の様に描かれています。
下は下界の埋葬の様子で、聖ステパノと聖アウグスティヌスが天上から降り立ち、大司教と司祭の姿になり騎士の正装をしたオルガス伯を抱えて葬ろうとしています。背後にはこの絵の寄進者達が並び、全て実在の人物です。左から6番目で手のひらをこちらに向けているのがグレコ自身、2つ右隣にフェリッペ2世の異母兄弟で、スペイン無敵艦隊の指揮官だったドン・ファン・デ・アウストリア。彼はレパントの戦いでトルコを破り、非常に国民に人気があったので、フェリッペ2世の嫉妬を買い、オランダの総督に赴かされてしまいました。そのため、フェリッペ2世はグレコに意地悪をされ、まだ生存しているのに、天界の死者の列に加えられています。ヨハネの右数番目の黄色い服の白髭の男がフェリッペ2世です。またグレコの2つ左隣の頭の禿げた人はセルバンテス、左の方の下の男の子はグレコの息子です。
サント・トメ教会
【住所】Pl. del Santo Tome
【営業時間】10:00~18:45 (10/15~4/28は17:45まで)
【定休日】無休
【料金】2.5ユーロ
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