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チェスキー・クルムロフの観光と歴史 世界遺産 Cesky Krumlov チェコ

投稿日:2020年4月22日 更新日:

チェスキー・クルムロフの観光と歴史 世界遺産 Cesky Krumlov チェコ

チェスキー・クルムロフの観光と歴史 世界遺産 Cesky Krumlov チェコ

チェスキー・クルムロフの観光と歴史 世界遺産 Cesky Krumlov チェコ

世界で一番美しい街と言われているチェコのチェスキー・クルムロフは、1992年にユネスコの世界遺産に加えられています。チェスキー・クルムロフは、当初クロムロフと呼ばれていました。チェスキーはチェコ語で“ボヘミアの”という意味で、クロムロフというのは、ドイツ語で“ねじれた形の川辺”という意味です。チェスキー・クルムロフの地図を見るとよく解るのですが、町の中を流れるヴルタヴァ川が、ぐっと曲がっています。ヴルタヴァ川というのは、モルダウ川(430km)の事です。プラハでは川幅も広かった川ですが、チェスキー・クルムロフの辺りまでくると、同じ川とは思えないほど川幅も狭くなります。

中世の面影を色濃く残す素敵な町チェスキー・クルムロフの歴史や観光名所をご案内します。

チェスキー・クルムロ人口 14,056人 (東京1395万3744人)観光客は年約200万人
面積22.16 km2 (東京2,188 km²) 標高650m


チェスキー・クルムロの歴史

はじまりはヴィートコフ家
チェスキー・クルムロの歴史は、1240年頃にヴィートコフ家によりゴシック様式のチェスキー・クルムロ城が建てられたのが始まりです。しかし、1302年にヴィートコフ家は断絶し、以降ボヘミアの有力な貴族ローゼンベルク(ロジェンベルク)家がこの地方の支配者となり、その後約300年間続きました。

ローゼンベルク家の時代
チェスキー・クロムロフにある多くのルネッサンス様式の建物はローゼンベルク家の時代に作られたものです。といっても、1374年にはまだ96軒の家があっただけでした。ローゼンベルク家の時代にビール醸造が始まり、魚をとって、ドイツやオーストリアに売っていました。
次第に人が集まるようになり、城下町として発展してゆきました。
最盛期は16世紀で、ゴシック建築だった城もルネッサンス様式に改築され、城が現在の外観になったのは1687年のことです。

チェスキー・クルムロフの町のシンボルマーク
チェスキー・クルムロフの町のシンボルマークは「赤いバラ」で、ローゼンベルク家の紋章です。ローゼンベルクとはドイツ語で“バラの山”という意味です。毎年6月の夏至の時期に「5弁のバラ祭り」というお祭りが盛大に行われています。

エッゲンベルク家の時代
1601年、ローゼンベルク家は財政難に陥り、チェスキー・クルムロフは神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に売却されました。その後1622年に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は、三十年戦争において、財政面で貢献してくれたエッゲンベルク家にこの町を与えました。エッゲンベルク家の時代にバロック様式の建築物が増改築されました。エッゲンベルク家も約100年間統治しましたが、子孫が途絶え、シュヴァルツェンベルク家が町と城を相続しました。シュヴァルツェンベルク家の時代に城はバロック様式に改築され、城内にバロック劇場が作られました。

シュヴァルツェンベルク家の時代
19世紀に入り、シュヴァルツェンベルク家は、ネオ・ゴシック様式に改築されたフルボカー城に居城を移してしまいました。また、産業革命に乗りおくれ、だんだんと町は衰退していきました。現在の中世の雰囲気が残っているのはそのためです。

ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国
1867年にチェスキー・クルムロフは、ハプスブルク家が支配するオーストリア=ハンガリー帝国の一部となりました。

チェコスロバキア
1880年代からはチェコ人とドイツ人の衝突が繰り返すようになりました。1910年の町の人口は8,662人でしたが、そのうち、ドイツ系が7,367人、チェコ系が1,295人でした。第一次世界大戦で、オーストリア=ハンガリー帝国は敗戦国となり、チェコスロバキアが独立してチェスキー・クルムロフはチェコスロバキアの町になりました。

ドイツ
1938年、ナチス・ドイツのズデーテン地方の併合によりチェスキー・クルムロフはドイツ領となってしまいました。町にはナチスドイツの軍の基地がおかれドイツ人兵士たちによって多くの建物が破壊されました。

再びチェコスロバキア
1945年、第二次世界大戦でドイツは敗れ、チェスキー・クルムロフは、再びチェコスロバキア領になりました。たくさんいたドイツ系の住民は、大統領の指令(ベネシュ布告)により、チェコスロバキアの市民権は剥奪され財産は没収され追放されてしまいました。

1945年以降、チェスキー・クルムロフの町は荒れ果てていました。チェコスロバキアは共産国だったため、チェスキー・クルムロフにある城壁などは、封建時代の象徴で価値の無い物とされたため荒廃は続きました。

チェコ
1989年のビロード革命で共産党体制が崩壊した後、町の景観の歴史的価値が再び認識され、町の修復が行われチェスキー・クルムロフは、昔の美しい街に戻りました。1992年にはユネスコの世界遺産に登録され「世界一美しい街」といわれるまでになりました。


チェスキー・クルムロフの観光

チェスキー・クルムロフの旧市街にはバスは乗り入れできないため、すべて徒歩観光になります。ツアーの駐車場の場所やシステムはよく変更になりますので確認してください。チェスキー・クルムロフの中のホテルに宿泊する場合も、スーツケースは駐車場に着く少し前にホテルに電話を入れ、ホテルのポーターに駐車場からホテルまで運んでもらいます。
トイレはお城に有料のトイレがあります。

チェスキー・クルムロフの地図

チェスキー・クルムロフの地図

町はヴルタヴァ川を境に2つに分けられます。お城のある方はラトラーンと呼ばれ、領主 に関係する仕事をする人だけが住んでいました。川の向こうは庶民の暮らす旧市街です。

チェスキー・クルムロフ城を見学しよう!外観から内部のツアーまで詳しく案内します。 cesky Krumlov castle チェコ

チェスキー・クルムロフ城

チェスキー・クルムロフ城
1240年頃に弁のバラの紋章を持つヴィートコフ家の子供領主クルムロフによりゴシック様式のチェスキー・クルムロ城が建てられました。ヴィートコフ家には5人子供がいて、それぞれ色の異なるバラを紋章にしています。
チェスキー・クルムロフ城に関しては、別ページに詳しく書いていますので参考にしてください。

チェスキー・クルムロフ城を見学しよう!外観から内部のツアーまで詳しく案内します。

チェスキー・クルムロフの旧市街

チェスキー・クルムロフの旧市街の見どころを案内します。

聖ヤン・ネポムツキーの像

聖ヤン・ネポムツキーの像

ラゼブニスキー橋(床屋橋・理髪橋)Lazebnicky bridge 
ヴルタヴァ川にかかる木造の橋で、昔この橋のそばに理髪店があったのでこの名前になりました。
橋の欄干には、聖ヤン・ネポムツキーの像があります。頭に5つの星が付いているのが目印です。その向かい側にはキリストの像があります。

スヴォルノスティー広場

スヴォルノスティー広場

スヴォルノスティー広場 Svornosti Square
旧市街の中心の広場で周りはホテルやレストランに囲まれています。スヴォルノスティーの意味は調和という意味で、昔は市場が立った場所です。白い大きな建物は1580年に建設されたタウンホール(市庁舎)で、観光案内所もここにあり、絵葉書や本を売っています。両替もでき、レートも良いのでお勧めです。ルネッサンス様式の建物で3階建てに見えますが、2階建てです。3階の窓はだまし絵です。描かれている紋章は、左がエーゲンベルク家の紋章、真ん中はチェコの紋章、右はシュヴァルツェンベルク家の紋章、下は チェスキー・クルムロフの紋章です。

広場には1715年に建てられた聖母マリアペスト記念塔があります。17世紀の初めにペストが蔓延しましたが、チェスキー・クルムロフは被害が少なかったので、神に感謝して建てられました。8人の聖人の像があり、真ん中にマリア様が立っています。

住所:Náměstí Svornosti 1, Český Krumlov

シュヴァルツェンベルクの紋章について
シュヴァルツェンベルク家の意味は黒い山ですが紋章が面白く、カラスがトルコ人の頭をつついている紋章です。これは対トルコ戦争の時にシュヴァルツェンベルク家がヨーロッパ側の将軍で勝利した、場所 がハンガリーのラブー城の近くでした。ラブーの意味はカラスなので、以来この紋章を使い始めたそうです。
聖ヴィート教会

聖ヴィート教会

聖ヴィート教会 St. Vitus Church
1434に建てられたゴシック様式の教会です。主祭壇の右側にフランシスコ・ザビエルの像があります。ロココ様式のピンクの礼拝堂は聖ヤン・ネボムツキーの礼拝堂です。祭壇の絵は上が聖ヴィートで下がマリアの戴冠、周囲にはビアドロローサの絵が飾られています。ローゼンベルク家のお墓もここにあります。

住所:Horní 156, 38101 Český Krumlov

ホテル・ルージェ

博物館のようなホテル・ルージェの中

ホテル・ルージェ (ルゼ) Hotel Růže
ホテル・ルージェ(ルゼ)は1568年に創建された修道院だった建物を1889年からホテルとして利用されています。内部はとても素敵です。

住所:Horní 154, 381 01 Český Krumlov

ホテル・ルージェ前の公園

ホテル・ルージェ前の公園からの眺め

ホテル・ルージェ(ルゼ)前の公園
ホテル・ルージェ(ルゼ)の前の小さな公園はチェスキー・クルムロフが一望できる写真スポットです。

地域博物館 Regional museum
ホテル・ルージェ(ルゼ)前の18世紀のバロック様式の黄色い建物が地域博物館です。チェスキー・クルムロフ及び南ボヘミア地方の歴史や民俗、キリスト教美術、工芸品などが展示されています。

開館時間:9:00~12:00、12:30~17:00
休館日:月曜
料金:60 CZK 
住所:Horni 152 Vnitrni Mesto Cesky Krumlov
地域博物館 公式サイト(英語) http://muzeumck.cz/english/

エゴンシーレ・アートセンター Egon Schiele Art Centrum
昔のビール醸造所だった建物で、20世紀初頭の画家エゴン・シーレの生涯をパネルで解説しています。80点余りの作品や、シーレの写真や手紙、使用していた家具、そしてシーレのデスマスクも展示されています。

開館時間:10:00 – 18:00
休館日:月曜
料金:200 CZK
住所:Široká 71, Český Krumlov, 381 01

エゴン・シーレ Egon Schiele
20世紀初頭にウィーンを中心に活躍した画家。ウィーンの近郊の小さな町トゥルン出身。母親がチェスキー・クルムロフの出身で、チェスキー・クルムロフを訪れ、絵を描いています。
しかし彼の絵は裸体画が多く、一度この町を追い出されています。28歳で若くして亡くなりました。

チェスキー・クルムロフのホテル一覧

私が実際に泊まった、チェスキー・クルムロフのホテルの中で一番のおすすめのホテルはホテル・ルージェ (ルゼ) です。もともと修道院だった歴史のある建物で、お部屋も素敵ですし、レストランの食事もおいしいです。ホテルの中を探検すると、中世の時代に入り込んだような気分にひたれますし、ホテルの前の公園からの眺めも素晴らしいです。

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