北欧、ノルウェーというと、ヴァイキングが頭に浮かぶ人も多いと思います。
ヨーロッパの歴史は、ヴァイキング抜きには語れません。
ヴァイキングとは、8世紀から11世紀にかけて、ヨーロッパから北米までの
広範囲に渡って遠征を行い、略奪や侵略を繰り返した北の民ノルマン人の事です。
ヴァイキングの名前の由来はいろいろな説がありますが、
ノルウェーの入り江(ヴィーク)に住む人々、という意味から、
ヴァイキングと言われるようになったという説が有力です。
北欧には、フィヨルドや、島が無数にありますので、船が必要不可欠でした。
造船技術が発達したのもうなずけます。
あの王様もヴァイキング!?
もともとは、交易をメインの目的とする「商人」だったヴァイキングですが、
徐々に近くを通る船を襲って金品を奪う海賊行為をするようになりました。
793年6月イングランドのリンディスファーンの修道院がヴァイキングに
襲撃されるという事件が起こりました。
これが、ヴァイキング時代の幕開けといわれています。
また、フランスに侵入したヴァイキングは、845年に何百隻という集団で
エルベ河を進み、その近郊を襲撃しながら、885年にはパリにまで到達。
結果、当時のバイキング(ノルマン人)の族長ロロ(Rollo, 860頃-933)は、
初代ノルマンディー公(在位:911-933)になったのです
その末裔、征服王ウィリアム1世は、1066年
ヘースティングスの戦いに勝利し、イギリス国王になりました。
ということは、フランスもイギリスの王族も先祖はヴァイキングという方々
がたくさんいるのではと思われます。
ヴァイキングはまさに「海の覇者たち」だった!
戦闘力にたけ、素晴らしい造船技術をもつヴァイキング達の海賊行為は
どんどん遠くまで及ぶようになりました。
その範囲は、ものすごく広く、イングランドやアイルランド、フランス、シチリア、
ロシア、ローマ付近、アイスランド、北アメリカ、アフリカにまで及びます。
アメリカ大陸を発見したのは、コロンブスと言われていますが、
実は1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見よりも、500年も早い1001年に
レイブ・エリクスソンというヴァイキングがカナダのニューファウンドランドに
上陸しています。すごいですね!
ヴァイキングの船は「ロング・シップ」(長い船)と呼ばれる、
戦闘用に使われた軽舟と、「クナル」と呼ばれる、容積も大きく
交易用に使われた大型船の二種類があり、風による帆走も、
オールによる手漕ぎもできる高機能船でした。
構造的にもそれまでには無かった「竜骨」と言う、
船底を船首から船尾に通す構造を持ち、これが、
船を頑丈にしていたので遠くの国まで行けたわけです。
ヴァイキングの謎は口伝から「サガ(saga)」へ
ヴァイキングが用いた文字はルーン文字と呼ぱれ、今でもヴァイキングの遺跡や
博物館でルーン文字を見ることができますが、バイキングの歴史や習慣、
宗教はすべて口頭で伝えられていました。
ヴァイキングの宗教は北欧神話に出てくる神々、
最高神オーディンを崇める多神教でした。
バイキングの時代が終わっても、先祖たちの武勇伝や民話、神話は
子供達に伝えられていき、それを後にアリ・ソルギリスソン が(1067-1148)が
「サガ(saga)」(冒険談)としてまとめました。
8世紀から11世紀にかけて猛威を振るったヴァイキングでありますが、
徐々にバイキングの王達が、キリスト教徒に改宗していき、
遠征に行った者たちは、その土地に定住し、戻らず、
ヴァイキングの歴史も終わることとなりました。
オスロのヴァイキング船博物館
写真のヴァイキング船はオスロのヴァイキング船博物館の物です。
ここには三艘のバイキング船が展示されていますが、
3艘ともヴァイキングのお墓「船墓」です。
ヴァイキングは亡くなると、使用していた船に遺体と一緒に、
その人が使っていた遺品を入れて、燃やしたり、お墓として葬ったりしていました。
ヴァイキング船博物館 (The Viking Ship Museum)
住所:Huk Aveny 35, Oslo
開館時間:9~18時(10~4月は10~16時)
休館日:12/24~26、31、1/1、その他一部祝日
入場料:大人 NOK 100 学生NOK80 (2017年1月現在)
カメラ・ビデオ撮影可
行き方:バス30番ヴァイキングスキピーネ(Vikingskipene)からすぐ
または春から秋にオスロ市庁舎前などから出る小型フェリーを利用
ドロンニンゲン(Doronningen)桟橋から徒歩15分