シュノンソー城 ロワールの古城 フランスの世界遺産
ロワール川の支流シェール川にかかる橋の上に建っているシュノンソー城。
水に映るお城が優美で「橋の上の城」との異名があります。
歴代の6人の女城主の城としても有名です。
「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」として世界遺産に登録されています。
シュノンソー城の歴史 Château de Chenonceau
1430年代ジャン・マルクが城と水車を建設しました。
その後トマ・ボイエに城を売却。トマ・ボイエは1513年に城を壊し、
シェール川にあった、水車台の上にルネッサンス式のお城を建てました。
実際には、彼の妻のカトリーヌ・ブリソネが設計や工事の指揮をして建てたようです。
シュノンソー城はボイエ氏の税金未納のかたに、フランソワ1世に没収されてしまいます。
フランソワ1世はシュノンンソー城を狩りのための城として使いました。
フランソワ1世が死ぬと、息子のアンリ2世は、愛人のディアーヌ・ド・ポワティエに城を与えました。
1559年に馬上槍試合でアンリ2世が急死し、イタリアのメディチ家から嫁いできた王妃カトリーヌ・ド・メディシスは、ショーモン城と引き換えにシュノンソー城をディアーヌから取り上げました。
その後、城はアンリ3世の妻ルイーズ・ド・ロレーヌに相続されました。
大恋愛の末に結ばれた二人でしたが、1589年にアンリ3世が暗殺されると、
ルイーズは、悲しみのあまり、うつ状態になり、瞑想と祈りの為にシュノンソーに引きこもり、
残された日々を白の喪服を着て、過ごしたため、「白の王妃」と呼ばれました。
その後、相続人たちに引き継がれた後、1733年にクロード・デュパンが手に入れました。
クロードの妻のルイーズ・デュパン夫人は、美術・文芸・演劇・自然科学の愛好者で、名高いサロンを開き、
当時の一流文化人、啓蒙運動指導者のヴォルテール、モンテスキュー、ジャン・ジャック・ルソー等が
シュノンソー城に滞在しました。
デュパン夫人は、フランス革命の時も破壊行為から城を守りました。
]館内に調度品が残っているのは、デュパン夫人のおかげです。
1864年にマルグリット・ベルーズがシュノンソー城を買い取り、ルネッサンス時代、すなわち
カトリーヌ・ド・メディシスの時代と同じように城と庭を改築することに情熱を注ぎました。
現在は、チョコレートの製造で有名なムニエ家がシュノンソー城の所有者です。
シモーヌ・ムニエは、第一次世界大戦時、城のギャラリー部分を病院に改築し、
2000人以上の負傷兵が手当てを受けました。
第二次世界大戦時、シェール川はドイツ占領地区の堺になっていました。
ギャラリーの右岸はドイツ占領区に位置し、左岸は非占領区でしたので、フランスのレジスタンスは、
大勢の人々を逃がす事ができました。